【歴史編】女拳・詠春拳(4)梁博儔と粤劇集団「紅船」

広東省仏山のオペラ(粤劇)劇団の役者だった黄華宝(こう・かほう)、陸錦(りく・きん)、高佬忠(こう・ろうちゅう)らは同省南雄でオペラ公演をしていた。

オペラ好きの梁博儔は毎晩劇場に足を運び、劇が終わる度に役者たちに近寄っては親睦を深めた。黄華宝と博儔陸錦、高佬忠の3人は博儔と意気投合し親交をさらに深めていった。

広東オペラ劇団は当時、紅色の船「紅船(こうせん)」に乗って各地を巡航していた。博儔は劇団員とともに紅船に乗り込んで南下し最終的に広州に定住する。

博儔が拳術に秀でていることを知った黄華宝らは、その独特な武術を教えるよう切願する。博儔は黄華宝、陸錦、高佬忠を入室弟子として受け入れ、こうして詠春拳がオペラ劇団員(第二代目)に伝えられていった。

その後、黄華宝は同じく劇団役者だった梁二娣(りょう・じてい、第三代目)に詠春拳を伝える。梁二娣は紅船で福建少林寺永春門の武器術「六点半棍法」を学んだことがあった。六点半棍はもともと詠春拳にあったものではなく伝承の過程で組み込まれたものだ。そして、梁二娣は後に、鶴山古労(広東省)の同郷人、梁賛(第四代目)に詠春拳を伝承した。

黄華宝が50歳の誕生日を迎えた時、梁二娣は祝賀会に愛弟子の梁賛を連れて行った。黄華宝は梁賛をたいそう可愛がり入室弟子の一人として受け入れたという。

梁賛は詠春拳を学んだ後、仏山に漢方薬店「賛生堂」を開く。漢方医をしながら店内で詠春拳を教授した。弟子には後に葉問(よう・もん、イップマン)の師となる陳華順(ちん・かじゅん、第5代目)、蘆桂、梁奇、息子の壁(へき)などがいた。

陳華順は、生涯16人の弟子に詠春拳を伝えた。雷汝済、何享健、呉少魯、何漢侶、呉仲素、息子の陳汝棉などが代表的で、葉問は陳華順の最後の弟子だった。葉問が入門した当時、陳華順はすでに高齢だった。

つづく

※紅船:18~19世紀の広東オペラ(粤劇)劇団が巡行のために使用した船。道具の運搬や劇団関係者の移動のほか宿舎の機能もあった。粤劇の施設「瓊花會館」付近の埠頭に停泊。同館の役者、李文茂らが反清政府の秘密結社「三合会」を組織し太平天国の乱で蜂起するが、清政府によっては焼き討ちされる。劇団は解散を命じられ、その後10年間粤劇の公演を禁じられた。

香港で詠春拳を学ぶ https://wingchunjp.wordpress.com/


	

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