「争いを止める」が武術の語源ではなかった―言語学的に解説

言語学的観点から、「武術」と「功夫」の違いについて説明します。

武術は中国語ではウーシュー(wushu)と発音します。このほかにも、功夫(カンフー、gongfu)という呼び方もあり、同義に使われることもありますが実は異なります。

英語ではどちらもマーシャルアーツ(martial arts)と一般的に訳されます。功夫はkungfuという綴りでチャイニーズ・マーシャルアーツ(中国武術、Chinese martial arts)の意味で使われています。

一般的に中国で武術というと、套路(taolu;型)の演武で競う競技を指すことが多いです。カラフルな衣装をまとってアクロバティックな技を審判員の前で演武します。武器術を使う場合もあります。また、一般的な格闘技の意味もあります。

他方で、功夫は武術だけに限らず、例えば、料理の腕が良いことを「好功夫」とほめたたえたりします。

辞書で調べると以下のような定義がみつかります:

①做事所费的时间与精力 →何かをやるのに必要な時間とエネルギー

例:     这工作真费功夫。(この仕事は時間がかかる)
    功夫不负有心人。(努力は報われる)

②时间 →時間

例:        有功夫一定去。(時間があれば行くよ)
                 忙得没功夫。(忙しくて時間がない)


つまり、功夫が定義する範囲のほうがより大きく、その中に武術が収まるイメージです。「武術」の説明について、よく「争いや戦いを止めることが本来の意味だ」という説明を聞くことがあります。

「武」は象形文字であり、矛(ほこ)が交わっている間に「止まる」という文字が書かれているので、武術の本来の目的は戦を止めることであるというものです。

道徳的にも高尚で納得のいく説明です。しかし、語源を調べると、この解説が正しくないことが分かります

「武」のほこの部分は、「戈」で中国語発音 は“ge”です。古代中国で使われていた武器で、槍(やり)のようなもので、刃の部分が鎌(かま)に似た形をしています。

Wikipdeiaより引用
Wikipediaより引用

つぎに、「止」ですが、日本語でも「何かを止める、ストップする」の意味で使いますね。

語源を調べると、「止」も象形文字です。何の形を表しているかという実は「ヒトの足」です。

ヒトが立ち止まっている状態を表していて、そこから「その場所にとどまる→とまる」という意味を持つようになりました。

つまり、「戈」「止」の象形文字を素直に解釈すると、「仁王立ちしているヒトが武器を持っている姿」を表します。

戦を止めるという解釈は、倫理や道徳を説くため後付けされたもので、語源的には正確ではないことが分かります。

武術とは、「戦い・格闘・軍事に関するもの」を指し、それ以上でも以下でもないのです。

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